Category : 三木市

6月に入り、雨が降る頻度が増えてきましたね

関東・甲信越地方では梅雨入りとなり、近畿地方もそろそろ梅雨入りかなと感じています。

梅雨で雨が続くのは憂鬱ですが、アジサイは目を楽しませてくれます。

本日はアジサイの映えスポットとイベントの紹介をしていきます

 

道の駅みきの隣にある、あじさいフローラみきは2020年6月にオープンしました。

約2万平方メートルの敷地に約15000株のアジサイが植えられています。

アジサイの見ごろを迎える6月11日(土)~7月18日(祝・月)には三木あじさい祭りが開催され、

期間中は花の寄せ植え教室をはじめ、園内では様々なイベントが行われます。

 

三木あじさい祭り

日程:2022年6月11日(土)~7月18日(祝・月)

時間:9:00~17:00(入園は16:30まで)

開催場所:あじさいフローラみき

料金:三木あじさい祭り開催期間中は入園料300円

※中学生以下は無料、一部有料の施設あり

 

詳細は公式ホームページをご確認ください!

▶▶ あじさいフローラみき公式ホームページ(外部サイト)

 

 

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旧三木鉄道跡地の遊歩道「別府ゆめ街道」がサイクリングロードとして開通しました!

サイクリングロード開通を記念して、4月1日~6月30日まで

リアル謎解きゲームやフォトコンテストといったイベントが開催されています。

 

別府ゆめ街道について

 

平成20年(2008年)に廃線となった旧三木鉄道跡地を活用した遊歩道です。

旧駅の外観を残して改築された休憩所の他、

運行当時に実際に使われていた信号機や標識などもそのまま残され、

遊歩道は4.8kmあり、のどかな田園風景を堪能できるようです

公式ホームページではサイクリングのモデルコースや周辺施設など紹介されていますbicyclist

▶▶ 別所ゆめ街道(外部サイト)

 


 

いかがでしたでしょうか?

周辺施設にも魅力的な所がたくさんありますので、ぜひ行ってみてくださいね

 

 

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神戸電鉄三木駅の新駅舎について

本日は藤原産業本社の近くにある「神戸電鉄三木駅」の新駅舎についてご紹介します。

 

三木駅_ブログ

 

旧駅舎は4年前の2018年3月に近隣の民家火災から延焼し、

築80年の木造平屋だった下り駅舎が全焼しました。

再建工事は昨年8月に着工され、再建にかかる費用のほとんどは

ふるさと納税や寄付で賄ったとの事です

再建された駅舎は先月3月28日にオープン!

駅舎の外観のデザインは総選挙で選ばれた「モダン風(斬新・現代風)」です。

今年5月末には駅前のロータリーの整備も完了する見通しとのことですよ

 

 

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兵庫県三木市のいちご

本日は「三木市のいちご」についてお話していきますstrawberry

兵庫県三木市のいちごは「章姫(あきひめ)」、「紅ほっぺ」、「あまクイーン」、「かおり野」、

「さちのか」、「紅クイーン」などが5月末まで楽しめます。

いちご狩りも1月の上旬から期間が長いところは6月上旬まで行える農園があります。

※新型コロナウイルス感染防止のため閉園している農園もございます

 

三木市のいちごについて、いちご狩りができる農園については

三木市ホームページにて紹介されています。

▶▶三木のいちご・いちご狩りのご案内(外部サイト)

 


いかがでしたでしょうか?

三木市のいちごは道の駅みきでも販売されているそうですlaughing

これを機に今が旬の三木産のいちごを楽しむのもいいですね♪

 

 

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鞴(ふいご)祭り

ふいご祭りとは平安時代から続く鍛冶屋、鋳物師など鞴(ふいご)を用いる人々が行う旧暦11月8日の伝統行事です。

 

鞴(ふいご)とは、鍛冶職人が刃物を鍛錬するときに空気を送る道具のことです。

昨日11/8は語呂合わせで「いい刃の日」ともされ、岐阜県垂井町の南宮大社ではふいご祭りが開催されました。

金物のまち三木市のふいご祭りでも伝統の古式鋼鍛錬を家事の伝統技術を伝えていくため、

鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀(こがたな)の製造業者が交替で公開実演を実施していますsparkles

 

三木市で実施されるふいご祭りは金物神社にて12月5日(日)開催予定です。

外部リンク:三木工業協同組合 2021年度(令和3年)の『金物古式鍛錬』実演年間予定>>

 

三木金物祭り2013

11月2日・3日は三木金物祭りでした。

昭和27年に三木金物見本市としてはじまり、現在まで続く三木市の大きなお祭りです。

 

今年もたくさんの金物が販売されていました。

    

 

こちらは金物展示直売会場。

三木金物ニューハードウェア賞製品が展示されていました。

 

三木金物ニューハードウェア賞とは、

三木金物新製品の研究意欲の高揚・三木金物産業の復興のため、

新製品を対象として新規性・市場性・機能性の審査を行い、高い評価を得た製品です。

   

 

 

金物だけでなく、舞台での発表や・・・

 

食べ物の販売など・・・バラエティ豊かです!

     

 

来年の金物祭りも楽しみですね♪

 

 

こちらは三木金物資料館の敷地内にある、村のかじや記念碑です。

 IMG_4275

 

「村のかじや」は、鍛冶屋さんの心意気や仕事ぶりを歌った童謡です。

金物資料館の入り口を抜けると、この歌の音色のチャイムが流れるようになっています。

 

IMG_4274

 

♪ しばしも休まず 槌うつ響き

飛び散る 火花よ 走る 湯玉

鞴(ふいご)の風さえ 息をもつかず

仕事に 精出す 村のかじや

 

この歌の場所・作詞・作曲は詳しくはわかっておらず不明です。

昭和52年には文部省の小学校学習指導要領の共通教材から削除され、それ以後、教科書出版社の音楽教科書から消えはじめ、昭和60年にはすべての教科書から完全に消滅しました。

この記念碑は、「この歌は我々の心意気や仕事ぶりを歌ったものだから、後世に残し、歌い継いで三木の金物と一緒に伝えていきたい」という鍛冶屋さんたち思いから設置されたものです。

 

ごく一部の駅のホームで、電車の通過・到着のメロディとしても使用されているそうです。

 

どんなメロディーか気になる方はぜひ金物資料館に行ってみてくださいね~♪

 

 

 

こちらは金物資料館で展示されていた【和釘:やまとくぎ】です。

和釘 和釘

Wikipeidaによると、和釘とは…

●洋釘が日本に伝わるまでは、日本の釘は全て和釘だったが、やがて洋釘が一般となり、和釘はほぼ消滅した。

●古式日本建築、仏像や和船などの新造や修理などで、その耐久性の高さから現在でも使われることがある。

…とあります。

 

現在の一般的な釘のように丸くなく、四角いのが特徴です。

和釘は、1本1本を火造り鍛造で造られており、現在の丸釘・タッカー釘とは根本的に違うということです。

 

こちらは三木の伽耶院が昭和60年に解体・修復された際に出土した和釘と、その保管されていたを釘使用して、伝統ある播州三木打刃物に造り上げたものです。

この和釘は、約390年前に砂鉄を原材料として「古代たたら製鉄法」によって造られたもので、大変貴重なものだそうです。

伽耶院和釘からの道具

 

 約390年前の釘がこうして残っているなんて、和釘ってとても丈夫なんですね~。

少し前に、三木市上の丸にある金物資料館と三木城跡に行ってきました。

 

金物資料館には、金物に関する古い資料や金属製品などが展示されています。

金物資料館

 

他には、三木市観光協会が作成された金物ストラップを展示・販売するコーナーもあります。

かんなどん(鉋)、かわいくないですか?

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三木の鍛冶用具と製品624点が文化庁の登録有形民俗文化財に登録されたということで、そちらも展示されていました。

兵庫県で初・金物業界でも日本初だそうです。すごいですね!!

三木の鍛冶道具・製品が登録有形民族文化財に登録されました。

 

 

すぐ横が三木城跡になるのですが、

別所長治公の像や、別所長治の辞世の歌碑などがあります。

別所長治公像 別所長治辞世の歌碑   IMG_4283

三木城は、室町時代の十五世紀後半に別所則治によって築かれたお城です。

天正6年(1578)、五代目城主別所長治のとき、織田信長の家臣羽柴秀吉の軍に包囲され1年8か月に及ぶ兵糧攻めに遭います 。この戦いは三木合戦といわれ、籠城の悲惨さから「三木の干殺し」として有名です。兵糧攻めによる飢えから、籠城した兵士が壁土の藁を食べたという言い伝えもあります。

天正8年(1580)1月17日に長治一族の自害によって開城し、籠城した人々の命が助けられました。

秀吉は焼き討ちなども採り入れていたため、町は焼野原となりました。秀吉は、中国攻めの拠点として三木の城を考えたため、焼け野原となった町の復興を手がけます。赦免の制札で逃げ延びていた人々を町に呼び戻し、復興が始まり、各地から大工職人が集まり、彼らの道具を作る鍛冶職人たちも数を増やしていきました。

という様なお話もあります。

「金物のまち三木」と呼ばれるようになった理由のひとつかもしれませんね。

 

三木城跡は高台にあるので、とても眺めがよく、三木市街を一望できます。

鉄橋を渡る神戸電鉄も見えますよ。

 

金物資料館ではたくさん写真を撮らせていただいたので、何回かに分けてご紹介しようと思います♪